2010年6月6日日曜日

吉田山より


京都の町はご存知のとうり 碁盤の目になっていまして、二条城のある二条通り、商店が並び、東海道の終点の三条大橋の掛かる三条通り、祇園祭の智恩院から始まる四条通りと、東西に走る通りに数が入ります。さて、0の地点はどこでしょう? それとも0の概念が平安時代には無かったのでしょうか?

大きな尺図で京都を見れば、この答があります。
この町は天皇を守り、繁栄させ、国の平安を守りために築かれたもの。その護国繁栄に一役買っているのが、陰陽師だったのです。
陰陽師 安倍晴明が五芒星(★のペンタグラム)、や、魔方陣(碁盤の目)を街に適応するにあたって、寺を建ててその地を聖域にして術をかけました。

天皇の玉座を守るため、その位置を起点(0ですね)とし、東は吉田神社、西に北野天満宮を建てたそうです。

今なお京都では、節分の日に北野天満宮・吉田神社・壬生寺・八坂神社・の四社寺を「四方詣り(しほうまいり)」と称し、無病息災、招福を願うそうです。



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